今度の災害を「広島山崩れ」という名前で呼びたいと思う。 広島山崩れの航空写真 8月20日未明に発生した、広島・安佐南区の土砂災害。事前に避難していた、という方の存在は今のところ一切耳にしていない。住民の多くの方は「まさか裏山が崩れるなんて」予想していなかったのかもしれない。しかし危険を判断する材料はなかったとは言えない。

今年の夏、山崩れ(土砂崩れと土石流)災害が頻発している。 ▼7月9日。台風8号のもたらした豪雨により長野県南木曽町で土石流。 ▼8月初旬。台風により四国各地で土砂災害。

高知県大豊町では8月1日から10日までの雨量が1991.0mmに達した。道路には亀裂。斜面が1日最大で1cm動いた。(テレビ朝日/報道ステーション)

▼8月24日。北海道/礼文島で”50年に一度の”大雨による土砂崩れ。死者1名。

24日午後1時40分までの24時間降水量が183ミリで観測史上最多を記録した。(読売)

去年は伊豆大島で豪雨により大規模土石流が発生し、多くの犠牲者/被災者が出た。「50年に一度」「100年に1度」レベルの大雨が毎年どこかで発生している事態だ。今後も集中豪雨は日本中どこでもおこりうると覚悟しないといけない。 地図 国土地理院

「ダムできていれば…」?

広島の災害地区で建設中多くの犠牲者を出した広島市安佐南区の八木地区にある複数の谷について、国土交通省が砂防ダムの建設を計画し、1基は着工し、さらに9月から地質調査などを始める予定だった。 15年前に広島県内で起きた土石流災害を受け、順次進めていたものだが、早期着工を求めていた地元住民らは「もう少し早くダムが整備できていれば」と話した。(2014年08月21日 The Yomiuri Shimbun)

「砂防ダムができていればなんとかなったかも」と思うのはお気の毒だが期待はずれだ。 げんに、テレビの報道を見ていると、今回の広島山崩れが発生した奥には「砂防ダム(正しくは砂防堰堤)」があった。土石流はそれをいとも容易に乗り越えて麓に達した。砂防堰堤は山の土砂が雨で沢筋に流れ下るのを塞き止めるのが実際の効果であって、発生した土石流を食い止める効果があるのか疑わしい。(国交省のHPには”砂防堰堤は土石流を防ぐための施設です”と書かれている。もし砂防堰堤によって土石流が防止された実例があるならご教示ください)

山は崩れるもの

ところで、少し見方を変えてみよう。時間のスケールを10,000年単位にして、こうした豪雨による土砂崩れを考えると、実は驚くような事件ではない。みなさんも高校の理科で習ったと思うが、日本列島の地形は長い時間をかけて絶えず変化を続けてきた。今見ている山も谷も平野も湾も、ほんの数万年前はまったく違う姿を見せていたはずなのだ。陸地に起伏がある理由は、ひとつには地殻の動き、第2に火山活動、そしてもうひとつが水による浸食作用だ。

この、水による地表の浸食作用は、寿命の短い私たち個々の人間に取っては迷惑な限りかもしれない。しかし、地球表面の生態系にとっては欠くことのできない「新陳代謝」だ。ビジネス系の人に分かりやすく言えば「スクラップ&ビルド」である。

地は今この瞬間も変化し続けている。山はいつか崩れるもの。それを防ぐことは土木技術であるていどはできるが、防ぎきることは不可能だ。だとすれば人間はその変化を察知し、それに合わせて生きていくしかない。社会の富と科学と技術はそのために使うべきだ。山崩れや洪水被害の危険性が高いところにはできるかぎり住まない、というのも生きていくためには大切な知恵だ。

「山のすそ野、特に沢の下には絶対に住んじゃいけんのよ。じゃけどね、ハウスメーカーや不動産屋は、そんなことは言わん。正直に言ったら、売れんからね」(Huffingtonpost.jp より)

日本は過去にも天明の大飢饉、安政の大地震、大正の関東大震災など大災害を経験してきているけれども、その度に多数の生活困窮者が出た。天明の大飢饉は餓死者多数、生き残りは都市に流れて極貧層「無宿者」を形成した。無宿者とは、乞食/非人の社会にさえ属さない、アンダーグラウンドな人々のことをさす。幕府は彼らを犯罪予備軍扱いにして捕らえて収容所に押し込め、そこで一定期間職業訓練をした。

それから2世紀。社会資源が格段に豊かな社会になって、東北大震災で生活の目処が立たない人がいまだ多数残されているというのは、いったいどういうわけだ。被災した人たちには早く国家の責任で暮らす家を確保し、生活が成り立つようにしていく必要がある。

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