PCR検査体制が整わないです。

潜在能力は十分あるはずなんだけどなあ。

筑波とか各地の大学に検査機器も人員もあるはずなんだけどなあ。

文科省はなにやってんだろ。

残念ながらそのPCR検査について、いまだ誤解が残っているようです。

2月頃、政府筋の”専門家”諸氏は検査精度が低いと言い、それを理由に検査拡大を否定していました。

しかし、偽陽性(ウイルスがないのに陽性反応が出ること)が1%でもあるというのは、この検査に関しては、ありえないと思います。

ある研究者の方がTwitterに書いてますが、コンタミ(操作中に誤って試料が汚染されること)が起きたとしても、誤った判定とならないように周到なプロトコルが組まれているといいます。

仮に偽陽性がそんなにあるなら、世界中の科学論文を査読しなおさないといけない、とのこと。

一方、陰性だったのに後で陽性反応が出る”偽陰性”は、採取した検体にウイルス粒子🦠が含まれていないことによるものです。

これは検査自体の信頼性が低いせいではなく、ウイルス自体の振る舞いによるものの可能性があります。

最近の報道によると、感染者の唾液にウイルス粒子🦠が多くあり、唾液採取で行けそうとのこと。

日本でPCR検査を渋ってきたもう一つの理由は、検査を大規模にやれば病院がパンクする、という説。

PCR検査については、これまで異なる2種類の性格の検査がごっちゃに議論されてきました。両者を分けて考えて、両者とも実施すべきです。

ひとつは感染疑いのある身体の具合の悪いひと、感染者の濃厚接触者、医療者に対して行う検査で、”医療目的”のものです。

これはすべての必要な人に対して、直ちに行えるようにしなければなりません。

このとき問題となるのは偽陰性の存在ですが、検査実施のメリットと比べたら検査をしない理由は見当たりません。

もう一つは統計データを取るためのものです。これは疫学調査です。

これは無作為に標本抽出して行うものであって、症状の有無で選別しません。

こちらは”科学”の領域です。

あらかじめデータの揺らぎの割合も折り込んで統計データを補正できるので、偽陽性や偽陰性が一定数あるのはなんら問題ではありません。

もう一度言います。医療と科学、この2つは別物です。

いま、統計データがまったく信用ならないという、科学の発達した国とは到底思えない状況にあります。

データ分析なしに政治判断されてはたまらない。

さらに言うと、検査で疑いが出た人を隔離すると、それで感染の広がりを抑えることができます。

これは疫学的なよい戦略だと思います。

以上、私のような一般市民が言っても影響力が乏しいので、

科学者のみなさんには、ぜひ政府への発言助言と検査拡充への取り組み、データ分析をお願いします。

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