齢88になった私の母は、筋金入りのエルヴィス・プレスリーファンだ。ラスベガスなど、プレスリー好きにとっての聖地にも行き、自宅の居間には等身大のエルヴィスのパネルがでんと置かれている。ご機嫌伺いに訪問すると、話の半分はエルヴィスのことだ。その母が、この映画は良い、と太鼓判を押した。

映画 ELVIS(邦題 エルヴィス)
https://wwws.warnerbros.co.jp/elvis-movie/

で、今日、観た。cool!震えた!涙出た!必見!主演のオースティン・バトラーがエルヴィスになりきっていて見もの。

20世紀後半、「人種」分断と暴力がはびこるアメリカ。南部の黒人街に住み、R&Bとゴスペルを浴びて育った貧しく心優しい青年Elvisが、新しい音楽ロックンロールを生み出す。それがどれほど斬新で革命的なことだったことか。忌み嫌われ、攻撃され、傷つき、利用され、自分を見失いながら、それでも再び歌を取り戻し、圧倒的に愛されて歌い続けた男の真実の物語。

エルヴィス・プレスリーはわたしにとっても思い出深い存在だ。

中学生の時に好きだったひとがこれまた熱烈なエルヴィスのファンだった。遊びに行くとエルヴィスのコンサート映像をたっぷり見せられ、レコードを聴かされるのが常で、お陰で主なヒット曲はほとんど聴いた。あの頃の中学生が夢中になるミュージシャンとしては、すでに伝説化していたプレスリーは珍しかった。正直言って、映像で見るコンサートでのプレスリーは中年になっていて、自分とは年齢が離れすぎており、シンパシーを感じにくかった。しかし、彼女が周りの誰も知らない世界的エンターティナーに関心を持ち、その良さを情熱的に語りかける様子を見ていると、「彼女は他の人にはない何か特別なセンスを持ち合わせた魅力ある人だ」という感覚が起きるのだった。

エルヴィスの何がそれほどまでに魅力なのだろう。

わたしは家に帰ると、覚えたてのギターを弾きながらエルヴィスの歌を練習してみた。当時はまだ、彼の歌の本当の良さも、音楽界への影響力の大きさも理解できていなかった。ただ、彼女ともっと仲良くなりたいという下心から始めたことだったが、歌ってみるとエルヴィスの曲に惹かれはじめる自分がいた。

すると、その様子を見ていた母がいきなり口を開いた。

エルヴィスがいかに偉大か知らないでしょ?ビートルズもローリングストーンズもエルヴィス・プレスリーがいなかったら生まれなかったのよ、と。

(プレスリーはそんなにすごい存在なの?いや、それよりママはプレスリーのことをそんなに尊敬しているのだ?なんてこった。僕の周りには二人もプレスリー好きがいるんだ!)

その頃はまだ母は自分がエルヴィス狂であることを私たち子どもにまったく隠していたから、わたしは面食らってしまった。

ママはロックンロールが好きだったのか。今は家にオーディオセットがあるのに、なぜ聴かないのだろう。なぜプレスリーだけ、あれほど熱く語るのだろう。自分が生まれる前の1950年代、10代から20代始めのママはどんな日々を送り、なにを考えていたのだろうか。この時、初めて思い巡らしたのだった。

エルヴィスの歌というと女性を虜にした甘い愛の歌が想起されがちだが、その根底に抑圧からの解放を求める心がなければ、あれほどの熱狂を聴衆にもたらさなかったろう。

映画ELVISを観ると、「監獄ロック」も、「ハウンドドッグ」も、より深みを持って観るもの聴くものに迫ってくる。その意味でこの映画はエルヴィスその人の魂をよく描いているのであり、脚本演出の視点が1人の人とその周囲の人間だけでなく、彼らが生きた世界を不可欠なものとして理解していたからこそ、成功したのだと思う。

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