昨年9月から専門学校で放送・映画の制作について教えています。内容は2年生の卒業制作実習。数人いる講師のうち、私はドキュメンタリー作品を作る班を担当しています。今はほぼ撮影は終わり、12月から編集の段階に入っています。

2年生とはいえ、1つの作品を最初から最後まで作る経験はまだかぞえるほどしかありません。ディレクターたちは今日も苦しんでいます。

撮りためた素材の何をどう並べて、1本につなげるのか。実はこれが一番良いという編集方法があるわけではありません。道はいくつもあるのです。最善な方法を決めるのは作家の得意とする思考と、作品自身の持つ性格という、2つの要素です。

学生の一人は、あることに強い関心を抱く人物を主人公にして、夢を実現するために旅に出る主人公を追うドキュメンタリーのディレクターです。始めに素材をプレビューしつつ、シーンを紙片に書き出して、ホワイトボードに貼り付けていきます。これは現場でよく使われている編集手法の一つです。

彼はそれを参考にして使うカットをどんどん決めていき、早々と最後まで映像を一通りつなぎました。そこで、私はプレビューしながら想定しているナレーションを読み上げるように彼に指示しました。しかし、彼は言い淀むことがしばしば。例えナレーションの文言を確定していなくても、ストーリーが頭に入っていれば、こうはなりません。

さらには、最後の主人公の独白に説得力が感じられないのが、最も大きい問題です。これは、せっかく撮れたよいシーンを効果的に使っていないからです。彼は、撮影前に自分の書いた台本のストーリーに囚われているのです。私は台本を書き直すことをアドバイスしました。

もう一人の学生は、インタビューが中心の作品を制作中。素材を何度も見直し、登場人物が何を語っているのかに耳を傾け、候補となるカットを集めていくやり方を取っています。これが彼のやりかたですが、インタビュー主体という作品の性格からいっても、こうした編集手法は適しています。

集まったカットは完成品の何倍もあります。カットを削ったり並び替えたりといったテストを重ねながら、少しずつ進めていきます。この編集で頼りになるのが編集者の存在。編集担当の学生は自分の考えを率直に言う、よい相棒に見えます。私は彼らが迷ってきたときに口を挟みます。

ドラマと違って、現実のできごとは撮影前に制作者が意図していた通りにはおこりません。残念なことにテレビの現場では、自分の主張を表現するためであれば多少の虚構は許されると考える人がいます。それは演出の範囲内だという主張です。しかし、ドキュメンタリー作者は観る人に誤解を与えるような嘘をつくことは、絶対にしてはいけないのです。

現実から何を感じ、何を読み取るのか。作者は、現実を捻じ曲げることなく、自分の世界を表現するという、難しい仕事を求められます。もうすぐ制作現場に身を投じる若い人たちに、自分の職業生活で得たことの何が役立つのでしょうか。

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