流れ出た土砂の総量50万立方メートル。


広島土砂災害という呼び方がマスメディアでは大勢を占めていますが、私は今度の広島で起きた大規模土砂災害を“広島山崩れ”と呼んでいます。なぜか?それは、どんな名前を付けるかによって人間は受け止め方が大きく異なるからです。「土砂災害」ではあまりに漠然としていて、ことの本質をつかまえていません。 1)一番被害の大きかった八木地区の惨事が目を引く陰で注目されていませんが、国土地理院が撮影した航空写真や各種の映像をつぶさに見ると、山腹斜面の崩壊は広島市中心部の北北西に位置する武田山(標高410m)から北東に向かって阿武山(586m)、高松山(339m)にかけた長さ12km、幅3kmの範囲に広がっています。崩壊箇所は広島県災害対策本部の発表資料で見ると土石流 81件、がけ崩れ 37件です 。特に阿武山は人的被害の出ていない箇所でも大規模な山腹の崩壊が生じていて、崩壊の発生地点は最も高いところで稜線近くの標高500mを越える地点から起こっています。山崩れと呼ぶのに相応しい状況であることが明らかです。山崩れとは—

[山崩れ] 山地の斜面の土砂や岩石が急激に移動する現象で、大雨や融雪が原因となる場合が多い。地震が原因となることもある。

(気象庁 予報用語辞典)

つまり、山崩れはがけ崩れも含めて、山の斜面が急激に崩壊する現象をいうのです。 2)土石流は大量の土と石、倒木を含む水が山の斜面を一気に流れ落ちる現象です。土石流の発生原因は斜面崩壊とは限りません。雲仙普賢岳の噴火では火砕流が発生し多くの犠牲者を出しましたが、度々土石流が発生して麓に甚大な被害をもたらしています。噴火によって堆積した火山灰や砂礫が雨によって峡谷の川に流れ込んだのです。 これに対して今回の災害で発生した土石流は堆積した土砂がおこしたものではなく、1時間に100mmを超す大量の雨が降ったことによって斜面が崩壊したのが原因です。 3)発生したのは土石流だけではありませんでした。土石流は水が流れ込む谷側で発生するのが普通です。しかし谷になっていない斜面が崩壊してなだれ込んだ形跡も認められます。 つまり

短時間に多量の雨 → [ 山の斜面が同時多発的に崩壊 → 土石流・崖崩れの大量発生] = 山崩れ

という式が成り立ちます。 これらの事実を押さえておくことは今後の防災対策を立てていく上で大変重要です。 因みに一部マスコミは当初「土砂崩れ」と呼んでいましたが、これは傾斜の急な斜面が崩壊する「がけ崩れ」と同じ意味のことばで、災害の全貌をとらえておらず適切ではありませんでした。 気象用語では現在では土砂崩れという言葉は使用しません。なお、土砂災害防止法では「急傾斜地の崩壊」「土石流」「地滑り」の3種類を対象にしています。 では、今度の災害を山崩れとして捉えることで、何が見えてくるでしょうか。 まず第1に重要なことは、山崩れが発生する危険はどこの山でもある、ということです。まさ土が崩れやすいことは確かですが、他の地質であっても、山崩れは過去にも記録されています。1911年に発生した稗田山崩れでは実に1億立方メートルの土砂が流出したと見積もられています(原因は不明)から、桁違いですが、この山の地質は安山岩と凝灰岩です。 一般に、日本の土地の6割を占める山の岩盤は、風雨にさらされて浸食され、石や土砂となります。土砂は水の流れによって下流域へ運ばれますが、今回の災害のように一気に崩壊することはままあることです。地震、噴火などの作用によっても崩れます。山の斜面の崩壊は台風が来たり地震が起きたりするのと同じくらい、あって当たり前の自然現象です。そのリスクを前提にして私たちは街を造っているのか。生活をしているのか。それが、今回の災害で問われているのではないでしょうか。 第2に、局地的集中豪雨との関係です。 グラフ1は広島市安佐南区八木5丁目の河川敷に国交省が設置している雨量計(国交賞発表資料)、グラフ2は災害範囲の北端にあるアメダスのデータ(気象庁のデータより作成)です。

時間雨量-八木
グラフ1 八木地区の時間雨量(国交賞発表資料)
時間雨量-三入
グラフ2 可部地域の時間雨量(アメダスデータより作図)

17時に降り出した雨が午前2時台には1時間当たり20ミリから30ミリに達し、さらに3時台には80ミリを超えます。土石流が発生したのが3時半頃です。雨がちの天気が続いていたところに、さらに短時間に大量に雨が降ったことが山腹の崩壊を招いたのだとすると、午前3時になってあわてて避難したとしても遅かった可能性があります。 次のグラフは可部地域の10分ごとの雨量の変化です。午前1時40分頃に突然10分で14ミリという猛烈な雨が降り出しています。その後、波を描きながら雨脚は強まります。10分で10ミリ降ると1時間では積算60ミリの雨量になりますから、遅くとも豪雨が30分続いた時点で避難する判断を下すことが必要だったのではないでしょうか。避難が遅くなると道路が濁流になり、逃げられなくなる。このことも今回の災害は教えてくれています。

グラフ3 可部地域の気象推移
グラフ3 可部地域の気象推移(アメダスデータより作成)

市の避難勧告を出す判断が遅すぎた、という批判がおきています。去年、大島町でおきた土石流災害の教訓は空振りを恐れずに迅速な避難指示を出す、ということでした。一方で、住民自身にも「大丈夫だろう」という根拠のない楽観論があったといいます(フジテレビの取材に答えた大島町民のインタビューより)。それが生かされなかったのは残念です。 最後に自分の身を守るのは自分自身の判断です。自然災害のリスクに対して謙虚であれ。これは私自身に対する戒めです。 3つめに宅地開発の問題です。災害地域の人家は山麓に造られていました。麓といっても山地の一部といった方が正確であり、一番高いところで標高約90mです。しばしばテレビに映し出される県営緑が丘住宅は標高40mから50mの傾斜地にあります。地形図を見ると、元は山腹の一部であったことがよくわかります。住宅が森に食い込むように建てられている空撮を見て、わたしは背筋が寒くなりました。 むかし、東京の多摩川で洪水により住宅が流された事件を思い出します。その衝撃的なニュース映像は山田太一さん作のテレビドラマ「岸辺のアルバム」(1977年 TBS)で象徴的に使われたので、年配の方は覚えているでしょう。川は氾濫するものであることを忘れ、堤防があるから安全だとばかりに川のそばに建てられた家は激流に押し流されました。 多摩川水害が起きたのは今から40年前の1974年。その同じ年に撮影された八木町と阿武山の空撮写真がこれです。

写真
国土地理院

被災した家々の多くは昔に山の土砂が流れてできた土地、扇状地にありました。土石流が過去にもおきていたことが推測できる土地です。山麓を削ってできたと思われる住宅地もあります。1970年代から今日まで、宅地開発が山崩れのリスクを無視して進められてきたことのツケが40年たって回ってきたということなのでしょう。しかし、そのツケの支払いは住民がすべて負うべきなのでしょうか。

土砂災害が発生し、住宅が被災した現場の多くは、丘陵斜面を流下する多数の沢の出口付近に形成 された扇状地である。このような扇状地をはじめとする山麓堆積地は、繰り返し土石流 や斜面崩壊が発生して形成された地形であり、それらが発生しやすい地域であると言われている

国土地理院 地理地殻活動研究センター 地理情報解析研究室

広島県もこの地域の危険性については認識していて、情報を公開しています(土砂災害ポータルひろしま)。が、直接に住民への啓発などの手段は取っていませんでした。また、住民の方も、危険性には気づいていました。

「昨夏ごろ、上流部の石垣からかなりの量の水が噴出していた。土砂災害が心配だったので、町内会で砂防ダム建設を求める署名を1184人分集め、今年初めに県などに陳情した」(しんぶん赤旗日曜版2014/8/31 緑井の町内会長・石橋さん)

陳情の結果、県が動き始めた矢先だったといいます。しかし住民自ら事前に避難訓練などの対策を取っていたという話は伝わってきません。もし自治会などが豪雨災害を想定して訓練をやっていたら、人命の被害はもっと少なかったかもしれない。地震は直前までわかりませんが、豪雨による土砂災害の場合は、降り始めてからでも逃げるのに1時間くらいの時間的な余裕があるからです。 気になるのは、山崩れのような大規模な自然現象を「砂防ダム」のような土木工事で防ぐ、という発想は正しいのだろうか、ということです。 戦後になって、河川がおこす土石流を防ぐという名目で砂防事業が盛んに行われるようになってきました(国土交通省の管轄)。その一方、山の荒廃を防ぐという名目で治山事業が並行しておこなわれてきました(農林水産省の管轄)。砂防事業では山中の渓流に堰堤を造る「砂防ダム」、治山事業では沢沿いに谷止工等を造る「治山ダム」です。今では全国至る所、びっくりするような山の奥にまで砂防ダムや治山ダムが造られています。その数はいったいいくらあるのか。私にはまだ調べられていません。 28日、広島県は調査の結果、砂防ダムのあるところは被害がなかったと発表しました。

広島市北部で発生した土砂災害で、広島県が被災地周辺に設置した砂防ダム(21基)の下流域では、いずれも人的被害や建物損壊が出ていなかったことが28日、県の現地調査で分かった。砂防ダムは国と県が地域を分担して整備を進めているが、土石流で多くの人が亡くなった同市安佐南区八木地区では国が砂防ダム整備を計画しながら、一基も完成していないことが分かっている。ダム整備の遅れが大きな被害の差を生んだ可能性が出てきた。(毎日新聞 8/28)

しかし、八木地区では土石流が昭和47年に建設された砂防ダム(あるいは治山ダム)を乗り越えて被害が出ています。砂防ダムがあれば安心できるわけではないのです。過大な期待はむしろ危険です。 また、砂防ダムを設けることによって山と河川の荒廃を招き、かえって災害の危険性を増している可能性や、河川への小石・砂の供給が滞り、海岸線にまで影響を及ぼしていること、淡水魚などの水産資源を細らせていることなど、マイナス面も指摘されています。

[砂防工事をしていなかった] → [災害がおきた] → [砂防ダムを増やせば問題解決]

こういう単純な論議にならないように、よくよく検証する必要があります。この問題については関心を持っているので、いずれ稿を改めて書くつもりです。


それにしても、被害に遭われた方のことを思うと胸が塞ぎます。個人の力ではとても立ち直ることはできない。国と自治体の責任で救済していかないといけませんね。

この記事を共有

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。