さて、機材を準備して現場に急行する。
現場は、東京都内の静かな住宅街にある、小さな神社である。境内には十本あまりの大小の木があり、この暑い日々でも、境内だけは涼やかに感じられる。中でも3階建のビルの高さを超える立派なケヤキの大木が見事だ。

時刻は午前十時。蝉の鳴く音が頭上から降ってくる。近くには都道が通っており、車のエンジン音とロードノイズも気になる。エアコンの室外機から発生するファンの風切り音もある。

これらのノイズをいかに減らすか。収録と録音データの後処理の2段階でこの問題を解決することにする。
まずは収録の位置どりである。周辺のノイズ発生源との位置関係次第で、ノイズの混入はある程度軽減することができる。まずは耳を澄まして、どんな音がしているのかを現場周辺を歩き回って確認する。耳では聴き取れないわずかなノイズでも、高感度マイクは拾ってしまうので、良さそうな場所を見つけたら機材をセットアップし、ヘッドフォンで音をチェックする。

すると、道路から届く車のノイズがうるさく聞こえる。何かの唸るような低い音もずっと聞こえる。
パソコンの録音/波形解析アプリケーションを立ち上げてテスト録音し、波形を表示させる。ついで、周波数の分布がわかるスペクトル表示に切り替える。
周波数スペクトル表示で見ると、一番下に黄色いバンドがあるが、ノイズが周波数の低い方に偏っていることを示している。鳥の鳴き声は周波数が高いので、低い周波数のノイズと分離できる。これは後処理で除去することにする。

周波数スペクトル表示。黄色いほど音が強いことを示す。断続的なバンドは蝉の鳴き声。一番下に見えるバンドが低周波ノイズ

問題は蝉の鳴く音だ。音量が大きいだけでなく、甲高い。人間の耳に甲高く聴こえる音は、高音域にあり、鳥の鳴く音が同じ音域にあると、後処理で除去するのが難しい場合を想定しておく必要がある。

鳥を警戒させない位置どり

野鳥の音声収録での位置どりに関してはもう一つ大切なことがある。鳥たちに警戒を起こさせないことだ。都市に生きている鳥たちは人間の存在には慣れっこである。しかし気を抜いているわけでは決してない。起こりうる危険への警戒を怠らないことは、野生に生きている動物たちにとっては当たり前の行動原理だ。

鳥は人間が関心を払わないでいれば、近くの木の枝にとまっていたり、地面に降り立っていたりする。しかし、気に留めると、その気配を察して逃げてしまう。人間が他の動物に関心を寄せる時、無意識のうちに緊張が高まり、瞳孔は開き、心拍数が上がり、おそらくはハンターとしての行動を取ってしまう。それが相手に伝わるのではないだろうか。

あなたがもし鳥に気づいて興味を抱き、背後から寄って行くとしよう。鳥は突然、飛び立って行くだろう。鳥の目の視野は種によって異なるが、総じて人間よりも広い範囲を見渡せるし、首だって真後ろに回すことができる。

鳥に限らず、動物に接近するときはリラックスすることが大切だ。呼吸を整え、静かに力を入れずに、その場にいるようにする。周りの音に耳を澄ませ、自分の心臓の音を感じる。相手に気づかれないようにしたいと思い、息を潜めればひそめるほど、逆に緊張してしまうから止した方が良い。あなたの存在など、向こうの方が先に気づいている場合が多い。気づいていながら生活しているのだ。

鳥は各々、危害を加えうる対象に対して安全な距離という感覚を持っている。それは彼らの経験にも大きく左右される。都市公園のカワラバトや秋冬に都市河川や港湾にやってくるユリカモメは、人間から餌をもらうことを学習していて、かなりの近距離までやってくる。それでも、公園の地上に降り立っているハトの群れに、歩み寄ったり立ち上がったりした瞬間、彼らは一斉に飛び立つ。

概して大胆に人間に接近するのは、大きな群れで行動する種であることが多い。群れでいると、危険感知のアンテナが個体の数だけ立っている状態となり、単独で行動する種よりも危険を察知しやすい。常に集団が固まって行動するカワラバトの場合は、1羽が危険を察知して飛び立つと、一瞬のうちに全部が飛び立って逃げるという行動を採用している。

鋭く強い嘴を持つカラスの仲間では、群れが固まるのではなく展開して行動していることが多い。その場合、何かあると警戒の鳴き声を発して仲間に知らせる。それでも人間が不用意に巣に近づくなどの行動をとれば、急降下して頭を嘴で攻撃してくるだろう。カラスがもし攻撃してきたら、おそらく近くに巣があり雛を育てている最中だ。子育て中に神経質になるのは、人間も鳥も同じだ。

もっと小さく、単独か2、3羽で行動するタイプの鳥たちはどうやって危険を察知しているのか。一つは、他の種の鳥たちと共同して周囲に注意することで危険を知る方法だ。個々は単独のように見えてその実、互いに安全を保障しあう体制を敷いているのだ。例えば電線にとまったヒヨドリが、特徴的な一際鋭く鳴声を発する場合がある。そんな時は、何かを警戒している。ヒヨドリの警戒音が発せられた場合、近くにいる他の鳥たちが鳴くのをやめたり他へ移動したりする行動がよくある。

では鳥を警戒させないためにどうすればよいか。森林であれば、営巣中の鳥に警戒を起こさせないために迷彩柄の布で自分と機材を覆い、カモフラージュするという方法がある。都市環境ではそうしたカモフラージュが必要になる場合はそれほどない。

大事なのは距離感。対象の安全圏内に入らないことだ。今回狙う鳴き声の主は大木の、地上4m以上の高い枝にとまっている。ということは人間から危害を受ける可能性は低いので、木の枝の張り出すあたりまで近づいても問題ないと判断した。

人間のほうが難しい

むしろ収録で厄介なのは人間なのである。一人でマイクを宙に突き出し、パソコンを広げていると、中には「こいつ怪しい」と思い込む人が必ずいるし、ひどいときには双眼鏡を首に提げているだけで犯罪者扱いする人までいる始末だ(これが三、四人でもっと大掛かりな機材を揃え、ビデオカメラと三脚などもあると、訝しく思わないのだから、人間の勘など当てにならない)。

人は自分の知らない行動をとる人物を恐れる。双眼鏡を持っているだけで怪しまれる有様だ。だから道ゆく人には自分の方から軽く挨拶する。円滑なコミュニケーションが成り立つ人であれば、人は安心するものだ。

幸い神社の宮司さんとはかねてより顔見知りの間柄。お会いしたときに一言おことわりした。

一方では、興味津々で話しかけてくる人もいる。あっちの森(森と言っても実態は戸建て住宅二軒分ほどの広さなのだが)の方がいいよ、などと教えてくれることもあるので、ありがたい。しかし運悪くちょうど鳴き声がしていたら、唇に指を当てて合図するしかない。

音声を収録する

さて、位置を決めたところで、テスト録音をして再生し、正常に録音できるかを確かめる。ケーブルの接触不良などが原因で電気的なノイズが発生する場合もありうるので、現場でのチェックは不可欠。

さあ収録開始だ。あとは目当ての鳴き声がするまで静かに待ち続ける。

初日。帰って収録音を聴いてみると、蝉の鳴き声が相当強く、鳥の鳴き声が聞き取りづらい。科捜研のように音声の処理をしてみたが満足な結果は得られなかった。そこで、翌朝出直すことにした。

収録に適した時間帯は早朝

今回狙う鳥の鳴き声を収録するのに最も適した時間帯は早朝だ。これには2つの理由がある。

一つは鳥の行動が早朝に活発であるから。鳥はごく一部をのぞいて日中にしか行動しない。夜が明けるとすぐに食べるために動く。一般に鳥は飢餓に弱い。私たち哺乳類と同じく恒温動物で代謝が高いから、エネルギーを多く消費する。しかし体が小さい動物は熱が逃げやすい上、体内にエネルギーを貯める余力が小さい。だから、朝、すぐに食べる必要があるのだ。

ひとしきりエネルギーを補給すると、休憩に入る。その後、別の場所へ移動して食べる。繁殖期であれば、繁殖のための行動に時間が費やされる。こうして日が高いうちも行動はするので、観察の機会は日が沈むまであるのだが、出会える確実性が一番高いのは早朝なのだ。

もう一つの理由は静かだから。人間の活動が活発でない時間帯であるし、夏場はうるさい蝉も、早朝ならまだ動いていないし、第一涼しい。

そうして三日。

今日まで合計4回出動して記録したベストの音声がこれだ。

(第3回に続くよ)

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