〜慣用句「高をくくる」についての考察

以前、このブログで、慣用句の「たかをくくる」の意味が巷間流布されている説の「高を括る」ではなく、間違いとされている「鷹を括る」の方が正しいのではないのか、という仮説を書いた。
→記事  「たかをくくる」の語源「鷹を括る」説
その詳細は上記の記事を読んでいただくとして、再度要点をまとめてみようと思う。

  1. 最も流布している説では、たかとは石高すなわち米の生産力を意味し、くくるとはまとめる、総括するという意味を持つので、戦国時代に武将が敵国の勢力を示す石高を探らせたときに、その石高を実際より低く見積り、舐めてかかってしまうことを意味した、という。
  2. この説では、高を括る=生産高をまとめる、ということになるが、生産高をまとめるとは何を意味するのか。肝心な点について合理的な説明がなされていない。まとめるということがすなわち見積もるという意味になるというのは、強引な説明ではないか。たかを石高と解釈したところに無理がある。
  3. たかを鳥の鷹と仮定すると、この慣用句の意味するところを無理なく解釈できる。なぜならば鷹は古来、鷹狩りに使用されてきており、狩りの際には鷹匠の腕に鷹を留まらせるが、鷹を休ませるときには移動式の止まり木に留まらせ、足につける足革という留め具に紐を結び、止まり木に結わえつけておく。これが「たかをくくる 」という行為であって、狩場に到着したにもかからわず、まだ獲物が現れはしないだろうと考えて、鷹を止まり木に括っておくような、不心得を意味したのではなかろうか。ただし、「鷹を括る」という解釈は仮説に過ぎない。

以上だ。

念のため確認しておくと、

たかを・くくる【高を括る】

①その程度だろうと安易に予測する

②大したことはないと見くびる。高が知れたことだとあなどる。

松村 明 編 大辞林 第3版

現在インターネット上で拡散している「戦国時代に武将が敵国の勢力を探らせたとき、石高を実際より低く見積り、舐めてかかってしまったことから由来する」というもっともらしい解説には、なんらの根拠も出典も示されていない。文意のみならず文言までコピペしたかのように似ているところを見ると、ほとんどが他のサイトの説明を読んでそのまま引き写した物であろう。そうした説明を鵜呑みにしない方がよい。(もちろん、当サイトの議論も鵜呑みにせず、ご自身で考えていただきたい)

生産力の単位として石高が採用されたのが戦国時代の終わりを告げる出来事である大閤検地以後だということはすでに前の記事で指摘しておいたが、それ以前に使われていた貫高などだとしても、この説がトンデモ学説であるという本質は変わらない。「くくる」の意味を明確に説明できていないからだ。「戦国大名石高説」はエセ常識の典型と言える。

高(タカ)とは何か

さて、「戦国大名石高説」には大いに疑問があるが、もっとしっかりとした国語辞典にはさすがにそこまでの根拠なき推測は実は書かれてはいない。例えば先に挙げた大辞林には意味は書かれているが、語源には触れていない。
また、言泉には

いきつくところを安易に予想する。高が知れていると見くびる

林大監修 国語大辞典言泉 小学館


とある。この説明によると、「たか」は高という漢字が当てられる言葉ではあるが、石高ではなく、「たかが知れている」に使われる「たか」と同様の意味合いだと取れる。
三省堂の新明解語源辞典にはもっと明確に


「たか」は「たかが知れる」の「たか」と同じ。「くくる」は一まとめにすること。「たかをくくる」は、総体を一まとめにしてこんなものだろうと予測することで、そこからこんなものならたいしたことはないと転じた。

小松寿雄・鈴木英夫編 新明解語源辞典 三省堂


とある。
では次に、「鷹を括る」説は一旦脇に置き、「たかをくくる」の「たか」が高の漢字を当てられてきたことばであると仮定して議論を進めよう。

まず、タカとは何かをはっきりさせよう。

たかをくくる というときのタカを「高い」、「高さ」の語幹タカだとすると、その意味するところは何だろうか。タカイとは何か、タカとタカサはどう違うのかを考える必要がある。

「高い」と「高さ」の意味

子どもにとってはタカイ塀も、大人にとってはタカくない。タカイとは、個々の人間の身の丈を基準として、垂直方向の長さ・距離を表現したものなのだ。さらに、同じ年齢、同じ背丈であっても、ある子どもにとっては塀がタカイけれども、別の子どもにとってはタカくない。高いかどうかは個人の運動能力や経験によっても異なる。低い、長い、短い、重い、軽い、などの感覚表現はみな同様の特質を共有している。つまり、個々の人間が感じた評価を表現したものだと言える。

今日では、タカイという言葉は元の意味を離れて、様々な感覚に拡大されて使われている。物価が高い、とか血糖値が高い、とかいろいろ言うが、人間を基準として評価することばであり概念であるという本質は貫かれている。

これに対して、タカサということばはタカイということばのもとの意味に含まれる垂直方向の長さに限定して使われるのが特徴だ。鴨居の高さ八尺、塔の高さ634メートルといった具合だ。物価の高さなどとは言わない。加えて、このことばには評価は含まれない。タカサは社会で共通に使われる基準によって裏打ちされている。タカサは物差しが登場して初めて定着した概念だろう。物差しがあり、平準化された計測技術があればタカサははっきりさせることができるという性格を持っている。

高(タカ)の第1の意味=集計結果

ではタカはどうだろうか。辞書によるとタカの第1の意味は物の数量の総額だ。タカがつく合成語をあげると、トレダカ(取れ高)、セイサンダカ(生産高)、ウリアゲダカ(売上高)、トリヒキダカ(取引高)、ザンダカ(残高)など、生産と経理に関係することにたくさんの例が見つかる。売上高を例に取ると、売上は個々の取引を指していうのに対し、売上高はある期間の集計結果を指す。このように、タカという言葉の裏には、何かを計算する、中でも集計する行為が含まれていると想像できる。但し、タカ単独でも集計結果という意味を持つのかは不明だ。

国語辞書を引くと、タカという見出し語には他にも意味が書かれている。一つは、金額などが高いこと、あるいは高くなることをさすが、これは円高などの限られた用法でしか見られない。もっと一般的には直接的あるいは比喩的な意味で何かしら「高い」ものやことを指す合成語の要素として現れる。例えば高倉、高窓、高下駄、高楊枝、高枕、高波などは元の意味のタカイから来ているし、高調子、高音、高値などは比喩的な使い方だ。これらは単独の言葉としては現れないので、考察からは外すことにしよう。

タカの第2の意味=限界

タカのもう一つの意味は、次のようなものだという。

数量の程度、限界、かぎり。「—がこれくらい」

大辞林

この意味であるとされる言い回しには「高が知れている」がある。もっとも、この慣用句は、集計結果の意味から来ているとも解釈可能だし、そのほうが腑に落ちる。なぜならば、「知る」という行為は集計の目的であるからだ。何かの行いが完了しなくとも、あるいは未だ実行しなくともおおよその結果が既に見えているとき、「高が知れている」と人は言う。それは、何かを実行して結果を集計する、例えば稲を育てて米を収穫するとか、それを年貢として納めるために米の量を集計するなどといったことが普通に行われていて、それに対して、計算結果が出るのを待たずとも、あるいは米を収穫する前に、既に結果が見えている、といったことがあって生まれたことばなのではないだろうか。

第2の意味においても、タカは客観的抽象的な概念ではなく、やはり人が高さや量を推し量るという行為が背景にあって、その文脈で語られるものだということがわかる。限界を判断するのは目的を持った人間のすることで、人間と切り離して限界があるわけではない。タカの第1の意味合いと第2の意味合いは独立しているというよりも、人の営みによって地続きになっていると考えた方がよいだろう。

このように、タカは社会共通の客観的な尺度であるタカサとは異なり、測る、比べる、といった行為に焦点を当てたことばであることが理解できる。

くくるとは

さて、タカヲククルのタカが上に挙げた意味のどれかであると仮定して、問題となるのはククルの意味だ。

ククルという動詞は紐などで物をしばることを意味する。そこから転化して、離ればなれにならないようにつなぎとめるという意味合いでも使われるようになった。「括弧でくくる」という用例はひとつながりの文字を記号でしばりまとめるということになる。辞書ではその用例を根拠にしてククルに「まとめる」という語意を加えているが、見積もるという意味で使う用例は「たかをくくる」以外どこにも見当たらない。ということは、ククルには見積もるという意味はないのではないかという疑問が湧く。

新明解語源辞典が言うように、ククルを「ひとまとめにする」意味であるとしたらどうだろう。タカは何かの数量を計測または推計した値という意味で使われるので、「たかをくくる」が一まとめの言葉として扱われていたとすれば、このかたまり全体で「個々の計算量や推計量を足し合わせること」を意味したのであるかも知れない。つまりΣ(シグマ)である。合計額を推計し終えてしまえば、The End. それまでとなるだろうから、そこで人は安心してしまう。しかし現実はその見積額と同じとなるとは限らない。

特に近世になって商業が発展すると、まだ収穫量の確定しない米の量を推計することも必要になる。算盤を弾いて未来を予測することが増えたことだろう。何しろ日本は江戸期に世界に先駆けて小豆などの先物取引を発明したし、信用取引の発展した国であった。先のことを見越して合計量や合計金額を計算することは近世商業で日常のことだったに違いない。しかし、予測はあくまで予測に過ぎぬ。取らぬ狸の皮算用。その心持ちの危なさを指して「たかをくくり」云々という警句が生まれた可能性はあるかもしれないと思い至った。

「たかをくくる」は合計するの意味か

以上を「合計仮説」と呼ぶ。もう一度整理すると、国語辞典にあるように「くくる」単独で「推量する、予測する」という意味を持つのではなく、「たかをくくる」全体で「合計量を足し合わせて推計値を算出する」行為を意味したのではないか。だとすれば「たか」を高としてよいことになる。

また、もしこの仮説が正しいなら、ネット上で流布している「戦国時代」の「武将」が起源の言葉でなのはなく、「近世の商業」を舞台にして生まれた言葉である可能性が高い。

仮説を検証するため現在、江戸時代の商取引で使われていた言葉を調べているが、その道の専門家ではないのでなかなか進まない。

しかし、この仮説に有利な材料が一つある。井原西鶴の「浮世草子男色大鑑」に

折ふしかうてもらふ陰子にさへ高をくくられ帯解かすまでの詫び事

井原西鶴 浮世草子男色大鑑

云々というくだりがある。これは「高をくくる」の用例として辞書にも記載されている。この例では確かに漢字で高と書かれている。そのことは国立国会図書館のデジタルアーカイブで確認した。西鶴といえば大坂で活躍したひと(生まれは紀州だとされる)であり、当時の大坂(現在の大阪市中心部)は日本の商業中心地であった。浮世草子に使われる言葉も、当時の町人に親しみやすい表現が好まれたであろうことを考えると、この慣用句が商人たちの暮らしから生み出された生きた言葉であった可能性は大いにあると思う。

高をこくる?

もう一つの可能性として、そもそも「くくる」ではなかったのではないか、という考えも検討するべきだろう。言葉は使われていくうちに発音が変化したり、別の言葉と混同されたりすることがよく起こるからだ。
そこで、くくるに近い動詞を探すと「こくる」という言葉が見つかった。「告る」ではない。昔使われていたが現在の標準語では廃れた言葉だ(もしかしたら方言に残っているかもしれない)。
その意味は「激しくこする、こすって取り去る」ということで、似た意味の動詞に「こく」がある。「鼻をこくる」などと使う。鼻をこくれば鼻くそが取れるというわけだ。実はこの言葉は現在でもわずかに慣用句に使われている。それは


木で鼻をこくる


だ。え?木で鼻をくくる、の間違いじゃないの?という方。本当は「こくる」が正しい。

語源辞典には「木で鼻を擦られれば痛い」から「無愛想」の意味に転じたのだ、とあるが、それは違う。誰が他人に鼻をこすられるものか。そんなヘマな人はいない。

木で鼻をこくる、とは鼻紙を使わず、木の端切れで鼻をこすって鼻水・鼻くそを取る様を言う。私たち現代人には想像がつかないが、昔は紙が簡単に手に入らず、葉っぱなどのその辺の有り合わせの物をティシュペーパーの代用にするのは珍しいことではなかった。しかし、さすがに木の端切れあるいは立木で鼻をこするような行為は、あまりに荒っぽくぞんざいで素っ気ない。これが現在は無愛想という意味となり、「あの人は木で鼻をくくったような返事をする」といった表現に残ったわけだ。

さて、「こくる」という動詞が廃れるにつれ、木で鼻を“こくる”が木で鼻を“くくる”に間違えられるに至ったという実例を踏まえると、「高をくくる」も元は「高をこくる」であった、という可能性が浮上する。「こくる」は強くこすって剥ぎ取る意味だから、「高をこくる」は「見積もる量をはぎ取る」となり、見積もりを低くするという意味であると解釈できるだろう。もしそうだとすると、「高をくくる」は本来、「見積もりを低く設定する、見積もりを甘く見る」意味となるので、現在使われている意味に極めて近い。

以上、「たか」が高であるということを前提に二つの仮説を新たにのべたが、どちらかというと「高をこくる」説の方が説明に無理がなく、説得力があるように思われる。しかしこれらはあくまで可能性に過ぎない。「鷹を括る」仮説も含め、今のところどれもありだ。有力な証拠が見つかるまではどの仮説も留保しておきたい。

とまあ、大上段に構えて仮説を展開してみたが、これは遊びだ。ふとした疑問を突っ込んでいくと何かしら考えが浮かぶことがある。それが面白い。

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1件のコメント

  1. 「たかをくくる」調べ/抜き書き

    新版古文書用語辞典, 2012, 佐藤、天野、新人物往来社

    ●くくる【括】
    とりまとめる。たばねる。しばる。
    ●たかいれ【高入】
    ①高結(たかむすび)とも。新たに開墾した土地を検地して石高を定めること。対象は田・畑・屋敷地で、山林は一般的には高入されなかった。「全(まったく)、新田畑を開かせ高入之上御年貢増方可申付と之趣意ニハ聊(いささか)無之旨」→高請(たかうけ)
    ②土地を提供すること。
    ●たかうけ【高請】
    検地により石高を定め、村高に組み入れること。竿請(さおうけ)。
    ●たかがかり【高掛】 たかがかりものに同じ
    ●たかがかりもの【高掛物】
    村高に応じて課された付加税の総称で、幕領では高掛三役、私領では夫金(ぶきん)、夫米(ぶまい)、夫役(ぶやく)などがある。
    ●たかがかりきん【高掛金】
    石高に応じて課された付加税。「渡良瀬川高掛金割合申遣候」
    ●たかもちびゃくしょう【高持百姓】
    ①高持とも。検地帳上に土地所有者として登録され、年貢、諸役負担の義務を負う百姓。本百姓。村の正式な構成員である。
    ②持高(もちだか)の多い上層の百姓。
    ●たかやく【高役】
    諸藩から百姓まで、知行高・村高・持ち高に応じて徴収された賦役。主として普請などに際し賦課された役夫・金銭などをいう。
    ●たかわけ【高分】
    持高を分与すること。
    ●たかわり【高割】
    高掛(懸)とも。村々で年貢・諸役・諸入用などを負担する場合、あるいは救恤金などを分配する場合の算定方法で、各村の村高(石高)や各百姓の持高に応じて割り当てること。「村中高割ニ致し出金致可候」

    廣文庫 第拾貳冊、物集高見 著、物集高量 校

    たか(鷹) について詳述している

    江戸語事典 三好一光(みよし いっこう) 編、昭和45年、青蛙房(せいあぼう)

    ●たかをすえる(鷹を据える)
    鷹を据える鷹匠より転じて、威張りちらす事をいう
    「そこらへ行ってやらかしの 鷹をすゑようかの(魯文、西洋道中膝栗毛)

    語源海 杉本つとむ、2005、東京書籍

    杉本つとむ 1927〜、早稲田大学名誉教授
    ●たかをくくる【高をくくる】江戸時代
    たかには1)量、2)金額、3)極限、結局、4)大略、あらまし、5)程度、値打など、さまざまな意味があり、<くくる>には見積る、推量するなどの意、高をくくるは主に5)の意をもつ。相手をこの程度であろうと低く見積る態度から軽んじることを意味する。<高が(の)しれた/高が…>などともいう。
    源▶︎高は程度、値打を査定する意味をもち、それを<高が(の)しれた>と評価して、<高をくくる>というわけである(この用法が基)。相手を見下げることから、軽蔑の意もでてきた。おそらく、根本的には年貢米など収穫の高、その計量(高)を役人が見積る態度に関連していると思われる。
    例:
    人みな年中の高ぐくりばかりして毎月の胸算用せぬによって/陰子にさへ高をくゝられ(西鶴)
    あんまり高をくゝつたしよふ(洒落本)

    歴史から生まれた 日本語語源詮索辞典−現代に生きる古代語・中世語 武光誠 著、1992、創拓社

    竹光誠 1950生、1979東京大学大学院国史学科博士課程修了、明治学院大学助教授(出版時)
    ●たかをくくる
    相手のことをたいしたことはないと軽く評価するありさまを「たかをくくる」という。これは中世に武士同士が争った中から生まれた。武士が動員できる兵力は、其の者が治める領地の広さに基づく。今の歴史家は一万石の土地があれば二百五十名動員できるという計算をする。家臣の数はこれの倍近くになる。二百石の土地を持つ侍なら五家族の家来を養えるという計算だ。ところが十六、七歳から三十歳までの働きざかりの男子の数は限られてくる。父は四十歳で子は十三歳でどちらも戦場では使えないといった家来もいるからである。
    戦いの前に相手の持ち高(領地の石高)を計算して兵力をはかる、そして高を括って(たして)勝てると思えば、戦いをしかけるのである。
    「高が知れる」というのもたいした領地を持たない武士をさしている。それが他の場合にも使われて「大したことのない」の意味になった。

    小学館古語大辞典、1983、コンパクト版 1994

    ●たかをくくる【高を括る】
    《収穫の乏しい山間の村の石高を目測で決めたことからいう》その程度と予測する。予想してみくびる。あなどる。「高で括る」とも。
    「折節買うてもらふ陰子にさへー・られ、帯とかすまでの詫びこと」(浮・男色大鑑・七)
    「終には知れて御家に永く勤める事なるまいとー・り」(浮・風流曲三味線・五)
    ●たかぐくり【高括り】
    ①最初から究極の場合を予測すること。「あら気の毒や もはやいか程稼ぎたりとも銀(かね)も延ぶまじと、ー・に思ひしなり」(浮・西鶴織留・二)
    ②おおまかな勘定、概算
    「人皆年中のー・ばかりして、毎月の胸算用せぬによって、つばめ(決算)の合はぬ事ぞかし」(浮・世間胸算用・一)
    ③高をくくること。結果を予想して見くびること。
    「この暮れには慥(たしか)に夜抜けとー・して」(浮・傾城禁短気・六)

    #メモ

    齋藤 咲平
  2. ピンバック: 「たかをくくる」の語源「鷹を括る」説 – SAKIHEI

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