近くで「ぴよ」と言う鳴き声がした。見上げると電線にヒヨドリが止まっていた。
そのとき閃いた。あぁヒヨドリはむかし、ピヨトリという呼び名だったのかもしれない、と。
ヒヨドリは鳩より一回り小さく、体色は黒胡麻のような斑点のある灰色の地味な鳥で、頭はやや青みを帯び、尾羽はやや長い。鳴き声は騒がしく、お世辞にも美しいとはいえない。くちばしは細めで、脚は小さい。翼は短く、長距離飛行よりも木の枝の間を飛び回るのが得意だ。数回羽ばたいて翼をすぼめ滑空してはまた羽ばたくことを繰り返す、省エネな飛び方をよくする。単独か数羽の小集団で行動し、大群集を形成する例は寡聞にして聞いたことはない。こうした特徴は、この鳥の生態、つまり生き方を反映している。
ヒヨドリの鳴き声については、以前に一度書いたが、バラエティに富み、他の鳥の鳴き真似をすることもあるようだ。
はひふへほパピプペポ
日本語の研究者によると、万葉集に集められた歌の作者たちが生きていた頃、つまり京都に都が移されるよりも前の頃、少なくとも都近くでは、はひふへほ の音は ぱぴぷぺぽ と発音されていたそうだ。だから、当時の人が彼の鳥の鳴き声をピヨと聞き取り、名前をヒヨドリと名付けたとしても何ら不思議ではない。つまり、往古の発音では、ヒヨドリはピヨトリまたはピヨドリとなる。
鳴き声がそのまま名前になる動物は外国語では例が多い。例えばオオカミはフランス語でloup(ルー), 古漢語では狼(ロウ)であり、どちらもオオカミの唸り声に由来するという。ヒヨドリもその類いなのだろうか。
ヒエドリ説
しかし、三省堂の新明解語源辞典はこれを否定して、古名は「ヒエドリ」であったという。その根拠として、平安時代に著された『本草和名』十五に、「鵯 又有[ごう 敖かんむりに鳥という漢字] 和名比衣止利(ひえとり)」を挙げる。
本草和名(ほんぞうわみょう)は主に動植物並びに鉱物など博物学的項目を漢語と日本語で表さる名称とを対照して示した書物だが、実際に生きている動植物について詳しく説明されておらず、現在使われている生き物の名称と比較するためには情報が乏しい。つまり、本草和名に記載されたヒエトリと私たちがヒヨドリと呼ぶ鳥が同一なのかどうか、はっきりしない。
現に、漢和辞典によれば、鵯の文字は、第一にはハシブトガラスを指すという。このように、漢字の動植物名と和名が食い違う例は多いので、注意が必要なのだ。
ヒヨドリは稗(ひえ)を食べない
付け加えると、新明解語源辞典にも引用された大言海の「稗(ひえ)を食べるところからヒエトリと呼ばれた」説は、眉唾ものだ。
ヒヨドリの主食は樹木の花の蜜や果実、昆虫などだからだ。稗ではない。この鳥は今日では都市部で普通に見られる、特に珍しくもない鳥だが、元は山間に多く棲息し、木の枝を飛び回ってエサを探す。その体形からして、地上に降り立つことはない。細いくちばしは穀物を砕くには不利だ。だから、草地の地表近くにある稗の実を口に入れることはない、と言い切れる。稗を食べる鳥の代表はスズメだから、大言海の説に従うと、スズメの古名がヒエトリである、という方が自然、ということになる。
大言海の編者は本草和名を鵜呑みにして、こんな珍説を書いてしまったのではないか。
鵯越の逆落とし
ところで、ヒヨドリといえば、平家物語の名場面、一ノ谷の戦いにおける鵯越(ひよどりごえ)の逆落としが思い浮かぶ。鵯越という名の急峻な高台から、平家軍の布陣する一ノ谷(今の神戸市須磨区)へ少数の義経軍が一気に駆け下り、奇襲攻撃を掛けた、という話だ。思いもかけない方向から攻められた平家軍は慌てふためき、総崩れとなり、敗走。この戦いでの大敗により、平家は勢力回復の機会を失った、と信じられてきた。
ドラマとしてはおもしろいが、崖を本当に馬で駆け下りることができたのか疑問視する向きもあり、そもそも現在の鵯越に崖がないことや、一ノ谷と8キロメートル離れていること、戦いの内容についても文献により異なる点が多々あるなど、平家物語や吾妻鏡の記述には不自然なことが少なくない。
そこで、実は話に出てくる鵯越は今の鵯越ではなく一ノ谷の裏山なのだ、とか、平家軍の陣が鵯越の下にあったのだ、とか、さまざまな説が入り乱れている。その真偽はさておき、鵯越という地名にはヒヨドリという動物の生態がドンピシャにハマる。樹々の生い茂る斜面はヒヨドリたちの好む環境なのだ。
さて、ヒヨドリはヒエトリだったのか、それともピヨトリだったのか。こちらの真偽はどうか。